神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。
なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。
目を高くあげて、 だれが、これらのものを創造したかを見よ。 主は数をしらべて万軍をひきいだし、 おのおのをその名で呼ばれる。 その勢いの大いなるにより、 またその力の強きがゆえに、 一つも欠けることはない。
わたしは、あなたの指のわざなる天を見、 あなたが設けられた月と星とを見て思います。
彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。
神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。
もしわたしがきて彼らに語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし今となっては、彼らには、その罪について言いのがれる道がない。
世々の支配者、不朽にして見えざる唯一の神に、世々限りなく、ほまれと栄光とがあるように、アァメン。
キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、
あなたはわが内臓をつくり、 わが母の胎内でわたしを組み立てられました。
あなたのまことはよろずよに及びます。 あなたが地を定められたので、地は堅く立っています。
あなたは地をその基の上にすえて、 とこしえに動くことのないようにされた。
永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。
だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。
あなたはまた目を上げて天を望み、日、月、星すなわちすべて天の万象を見、誘惑されてそれを拝み、それに仕えてはならない。それらのものは、あなたの神、主が全天下の万民に分けられたものである。
御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。
「愚かで、悟りもなく、 目があっても見えず、 耳があっても聞えない民よ、これを聞け。
とこしえに主に信頼せよ、 主なる神はとこしえの岩だからである。
ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、 ひとりの男の子がわれわれに与えられた。 まつりごとはその肩にあり、 その名は、「霊妙なる議士、大能の神、 とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
どうか、主の栄光がとこしえにあるように。 主がそのみわざを喜ばれるように。
神はただひとり不死を保ち、近づきがたい光の中に住み、人間の中でだれも見た者がなく、見ることもできないかたである。ほまれと永遠の支配とが、神にあるように、アァメン。
このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。
山がまだ生れず、 あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、 とこしえからとこしえまで、 あなたは神でいらせられる。
とこしえにいます神はあなたのすみかであり、 下には永遠の腕がある。 敵をあなたの前から追い払って、 『滅ぼせ』と言われた。
信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。
こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
アブラハムはベエルシバに一本のぎょりゅうの木を植え、その所で永遠の神、主の名を呼んだ。
「兄弟たち、父たちよ、いま申し上げるわたしの弁明を聞いていただきたい」。
はじめに神は天と地とを創造された。
しかし獣に問うてみよ、 それはあなたに教える。 空の鳥に問うてみよ、 それはあなたに告げる。
主はその力をもって地を造り、 その知恵をもって世界を建て、 その悟りをもって天をのべられた。
しかし、天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。
知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。